2020-04-14 第201回国会 参議院 農林水産委員会 第10号
和牛の中の和牛というふうに言われておりまして、日本最古のつる牛の系統を持っているということであります。 また、和牛のオリンピックとも言われております五年に一度の共進会、実は第一回が昭和四十一年に岡山県で開催されておりまして、そのときのテーマは、和牛は肉用牛たり得るかというテーマでやってきております。
和牛の中の和牛というふうに言われておりまして、日本最古のつる牛の系統を持っているということであります。 また、和牛のオリンピックとも言われております五年に一度の共進会、実は第一回が昭和四十一年に岡山県で開催されておりまして、そのときのテーマは、和牛は肉用牛たり得るかというテーマでやってきております。
文化庁といたしましては、一九〇〇年頃に建設をされたコンクリート建造物というものは貴重なものであると考えてございまして、また、御指摘のこの陸揚げ庫について、地元で開催された報告会において、有識者の方から日本最古級の鉄筋コンクリート建造物の可能性があるといった見解が示されているということについては、御指摘のとおりでございます。
元号令和は、この日本最古の歌集である万葉集から引用されたものであります。新元号の発表は、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書万葉集のすばらしさを再認識する機会ともなりました。
私の地元福井県でも、日本最古の現存天守閣として有名な丸岡城がまさにそれに当たります。このような全国の声に押されて、多くの先生方に議連に参加していただきました。 そこで、この際、文化財の活用による文化GDP拡大のため、ひいては地域創生、インバウンド対応のために、国宝と重要文化財についても、他の文化財等の二段階区分と合わせて英語表記を含め名称変更すべきと考えますが、文科大臣の見解をお伺いします。
少し残念に思うのは、日本書紀という日本最古の歴史書の編さん千三百年という節目の年であるにもかかわらず、文化庁も含めてですけれども、日本人の関心が本当に低いということを本当に残念に思います。
今残る日本最古の正式な国史の歴史書であるということであろうと思います。 そこでお尋ねをしたいと思うんですけれども、今、文化庁として、この日本書紀千三百年、編さん千三百年に当たり、何か文化庁としての事業を実行しようとしているかどうか。
私も二度その現地に行かせていただいたところでありますが、日本最古の編み籠がありました。大小様々なものが八百点以上も出土をしておりまして、今では再現することができない編み方などもあるようであります。
先生御指摘の小菅修船場跡でございますが、これは昭和四十四年に史跡に指定されているものでございまして、現存する日本最古の近代洋式スリップドックとして大変貴重なものでございます。れんがづくりの巻き上げ小屋とか、巻き上げ機械、ドック、護岸の石積みなどが良好に残されている史跡でございます。
この前、民放で特集も組まれておりましたけれども、松本城というのは、五重六階の天守としては日本最古、そして現存十二天守の中では唯一の平城で、また漆黒の、カラス城とも呼ばれておりまして、今外国から大変な人気でございます。 また、安曇野を経て、白馬というところもあります。白馬は、御存じのとおり、オリンピックでは大変有名になりました。
ことしは、日本最古の歴史書と言われる古事記が編さんされてからちょうど千三百年ということでして、この舞台である出雲の地、島根の地、その東部を流れております斐伊川という大きな川がありまして、ここがヤマタノオロチ伝説の舞台になっているわけです。
私なりに自分の受けた教育を思い出してみますと、中学校の二、三年のころに国語の教科書で最初に出会ったな、そういうことを思い出すわけでありますが、現状において、中学校、高校の教科書でどのように扱われているかということ、そしてまた、こういった日本最古の歌集ということで、これから国としてどういうふうに取り扱われるかという御質問をしたいと思います。
今御指摘いただきましたとおり、新石垣空港の建設の場で日本最古と、二万年前の人骨化石が発見されたということでございます。これまでは私の地元であります浜松市が一番古くて一万四千年前だったんですが、六千年ほど更新されまして、個人的にはちょっと残念だったなという思いはあるんですが、こういう事実があるということでございますが。
沖縄県の新石垣空港建設で、日本最古と判明した人骨化石の発見現場が破壊されたとの報道がありますが、国交省はこの事実をどのように認識しているのでしょうか。止めることはできなかったのでしょうか。また、文化庁は文化財保護の観点からこのようなことが起きないよう工事を止めることはできないのでしょうか。併せてお聞きいたします。
人骨につきましては、放射性炭素年代測定を行いましたところ、今回、三点において、一万五千年から二万年前、この方法で測定された人骨としては日本最古のものと判明をいたしまして、今後、沖縄県は洞窟の発掘調査を行う考えであると承知をしております。 これまでの専門家の方々の調査などによりますと、当該洞窟は、人が居住していた遺跡ではなく、遺物が流れ込んだものであると聞いております。
私も、奈良県はすぐ隣でございますので、特に私、堺ですから、先ほど、日本で一番古い国道というのは、実は、私の地元の堺から飛鳥まで通っている、これは竹内街道というんですが、これが日本最古の国道というふうに言われているんですが、そういうこともあって奈良のことはよく知っているんですけれども、率直に申し上げますと、奈良県は、余りにも観光の財産が多過ぎて、情報発信が本当に下手やなというのがかねてから思っているんですね
四年前の一九九八年、奈良県を直撃した台風で、日本最古の巨大前方後円墳、箸中山古墳が、通称箸墓ですが、前方部など甚大な被害を受けました。根こそぎの倒木もあって、無数の埴輪などが露出した。その後、初期の壷形埴輪とか特殊器台形埴輪など、宮内庁書陵部によって展示されて、大勢の方が熱心に見学したということが報じられているわけでございます。
それで、ごく最近、昨年の十一月三日に、さるところで「日本最古の旧石器と化石人骨」という講演をなさっていらっしゃるのですけれども、その中でも御自分みずからおっしゃっております。これ変だなという指摘は実は前々からありました。そして自分もおかしいと思うことがあったということも、さきに申しましたようにシンポジウム等でもおっしゃっている。
むき出しの白い岩肌ですとか、また垂直に切り取られた岩壁などにも特徴がありますし、ここでの日本最古の磨崖仏のある大谷観音ですとか、あるいは高さ二十七メートルの手彫りでつくられた平和観音、大谷の平和観音と言われているもの、また地下の採掘場跡を利用した大谷の資料館など、かつては遠足や修学旅行の定番コースにもなっておりました。
飛鳥池遺跡は、先ほども申し上げましたが、七世紀後半から八世紀初めの総合的な官営工房であると考えられておりまして、日本最古の鋳造貨幣であります富本銭でありますとか、金銀等の金属製品などが発見された遺跡として貴重でございます。そういうことで、この遺跡の範囲確認調査の結果を踏まえまして、私どもといたしましては史跡指定の方向で検討してまいりたい、かように考えております。
飛鳥池遺跡は、七世紀後半から八世紀初めの総合的な官営工房であると考えられておりまして、日本最古の鋳造貨幣であります富本銭でありますとか金銀等の金属製品などが多数発見されておる、そういう遺跡でございます。
そして、日本最古の漆器あるいは日本最大の板状土偶、巨大な木柱で建設された建設跡地など、学術上貴重な発見が相次いでされた、こういう内容になっています。こうした遺物、遺跡は、縄文時代の定説を覆す貴重な資料として、現在注目をされているわけであります。 地元で、この史跡を保存するためにも、今検討委員会をつくって努力をしているところであります。
日本最古の天守閣を誇る国宝犬山城、そして明治時代を代表する建造物を全国各地から移築しました建物の博物館、明治村、いま一つは、これはまだ二十カ国ちょっとかと思うのですが、世界の建造物を集めました野外民族博物館リトルワールドといったものがあり、そして非常に風光明媚な木曽川の日本ライン下り、そうしたまさに観光の町であり、市の財源も決して豊かまではいかないけれども、乏しくない。
日本最古のダムだと言われております。奈良にある蛙股池と一、二を争うと言われる大きなため池でございます。これが何度も事故に遭って今平成の大改修をやっております。そして、堤防を断ち割って今改修工事をやっていたら、過去の災害が全部、いわば一種の化石みたいなものですね、出てくるのですね。そして約四百年前、一五九六年ごろだったですが、野中大臣なんかよく御存じの伏見地震というのがありました。